2022年8月23日(火)

今日も今日とてやる気が起きない。通勤中は福間『「働く青年」と教養の戦後史』を読んでいる。竹内洋教養主義の没落』の裏面史という感じで、ノンエリートの「働く青年」たちに自己投影してしまうの、たぶんよくないのだろうな。

 ブギーポップは「夜明けのブギーポップ」編に入って、作画のへたりがめにつくようになり、これはちょっときつい。スケアクロウが事務所でピジョンと話す場面、あきらかに体の大きさおかしくない?へたりが愛嬌になるような魅力あるキャラデザでもない.のがつらい。このレベルの画の瑕疵があると映像ソフトを買ってはやれんなという気持ちになる。

 それはそれとして、2019年版の失敗は、90年代末と現在との時差とそれにともなう現実感覚の変容にあまりに無頓着な点にある、というのをもうすこし緻密な言葉で語れそうな気がしている。世界の不気味、透明の現実。そう、いまの不気味さはカメラによってすべてが切り取られうる「透明さ」を前提にしたうえで形作られなければたぶんダメなのだ。都市の不透明さにその身を隠していた90年代のブギーポップは、現在では別の居場所をみつけてあげなければだめだったろう。その努力を怠り、原作に「忠実」なアニメ化なんぞやっても、古典になんて絶対なりえない。

 

 そうそう、昨日は深紅の優勝旗白河の関を越えたり、渋谷で中3の女子が親子を殺傷しようとしたりと、いろいろあったのだった。