2022年9月25日(日)

午前は妻とスーパーに買い物に出かけた以外はだらだらと過ごす。

昼を済ませた後、昭和のくらし博物館へ。

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多摩川沿いを自転車で走れるのももう数えるほどしかないのかも。機会をみつけて麺でると二郎京急川崎店にはなるべく足を運びたいが...。

鎌倉殿、相変わらず地獄で最高。

 

2022年9月24日(土)

 とても疲れている。木曜に二郎上野毛店にいったあと、家の契約をする。疲れているのはでかい買い物決めて精神に負担がかかったからだろうか。

 この三連休も台風で、昨日も今日も天気が悪い。静岡のあたりはやばそうだ。

 ネットフリックスでフィンチャーの『ゲーム』みる。このまわりすべてがフェイクかもしれないという不安は『ファイトクラブ』とも通底する、90年代のモードなのか。

 

2022年9月20日(火)

今週の労働、やばいわよ!

岡田育さんにブログの記事を捕捉される。

https://twitter.com/okadaic/status/1572069664561266689?s=20

さもしい根性だけど、こうして書き手に届くのなんかバグっぽくていい。いままで一番うれしかったのは長谷正人さんにみつかったやつか、會川昇論か...。

 

2022年9月15日(木)

 今週も気力がわいてこない。たすけてアンパンマン

 コミケのためにすすめていた『氷菓』再見、「クドリャフカの順番」編まで了。並行して米澤穂信追想五断章』もよみ、『リカーシブル』を借りてくる。

 ほか、読み進めているのは岡田『我は、おばさん』。親のように上から教え導くのではなく、「ななめから手を差し伸べる」のが叔母さん・伯母さんの役目じゃんよ、というのはなるほどね。こういうフェミニズム批評読むとぼくのなかに根をはるミソジニーとテクストが緊張関係をおこして、いらんことばかり考える。

たまこまーけっと3話、なんどみてもよいものです。

 

 

2022年9月11日(日)

 このところ、家を買おうと思い立ち、うろうろしています。今日の不動産屋のにいちゃんは「駅力」なる尺度で沿線ごとの強さランキングを語ってくれて、ややウケ。

 マンション20階分くらいの眺望が約束された一軒家からのながめ。くそ細い道を抜けた先にある。無論近くにコンビニもスーパーもないし、この高低差で自転車なんて漕いでられん。こんな山の上には住めんやろね。お散歩するならよさそう。

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 すぐ隣に墓があるので死んだ時に楽そう。この墓地、以前妻とお散歩できたとこだったんで笑ってしまった。
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 いま住んでるとこ、結局一年経たずに引っ越しそうなんですけど、結構気に入っているのでさみしいはさみしい。映画館とでかい図書館にふらっといけるのがマジででかいし、川を泳いで渡る蛇になれるのもまたよい。

2022年9月9日(金)

 労働はなんとか一山越えて、精神にもやや安定が戻ってきた。職場の人もメンタルがおちこんでいたようだし、季節の変わり目でそういうタイミングだったんだろう。

 フレデリック・ワイズマン『ニューヨーク公共図書館』の配信が終わりそうだったので、ちまちまみている。みんな、立て板に水みたいによどみなくしゃべるんでびっくりする。円盤買ってもいいかもなー。

 

 kindleアンリミテッドに入っていた実話系怪談の本を読んでいて、まあインターネットだったらよくできてる類のショートショートなんだが、インターネットでそれとエンカウントしたときの厭な感じはない。たぶん語りが半端に巧いからなんだな。さりとてそれだけで飯を食える類の巧さではない。ま、カーネギーホールに行くには練習あるのみっちゅうことやね。

 

 そうそう、今日はエリザベス2世が亡くなったのであった。君塚『エリザベス女王』はつくづくいい本なのだよな。イギリス20世紀史の最良の概説といっていいと思う。

 

2022年9月6日(火)

 ストレスたまりすぎて職場で変な声を何度か発してしまったが、出社してる人が少なかったので許された。

 もう無理という気持ちが強い。自分をコントロールできず他者を害して当然みたいな態度、ありえねえだろ。全部ひとりでやってくれ。

2022年9月2日(金)

今週はハードワークで一週間があっという間に消えた。

今日はブログを書いた。えらすぎる。

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ただやっぱり疲れているときにブログなぞ書くものではない。うまく言葉が出てこなかった。絲山秋子先生はエゴサする人なのでたぶんブログも捕捉されると思うんだが、ならもうすこし書いておくべきことがあった気がしている...。

行き帰りは森『国道3号線』を読んでいる。

 

相変わらずいつコロナにかかるかもわからん。

2022年8月29日(月)

 トゥナイト、トゥナイト。Spotify、結局耳になじんだキャッチ―な曲ばっかり聞いている。

 今日は出勤。コロナが落ち着く様子はないが通勤電車はあいかわらず。昨日今日でだいぶ涼しくなって、いよいよ真夏のピークは去ったわね。行き帰りで『海がきこえる』読み終わり。ラストの余韻は圧倒的に原作のほうが勝る。「海がきこえる」がアニメだと全然回収されないじゃん!アニメ独自の男二人で海を眺めるシークエンスは結構好きだけど、深夜、家族が寝静まった夜に潮騒を聴く結部の叙情とくらべちゃあ分が悪いってものよ。

 『氷菓』11話、11.5話みて、気分がのったので個人誌の原稿にとりかかる。はたしてこれが完成するのか?さあね。しかし、批評を書いている時間の多くは「わかりきったこと」を整理し書き連ねていく極めて退屈な時間で、ごくたまに自分にも十全にわかっていないことが指先から出力されてくる経験を「降ろす」ためにそういう退屈な作業がぜったい必要なのだけど、疲れているときにはとてもそんなことやる気にならない。ぜったいそんなときに降りてきたりしないから。

 今回は結部を決めていてそこに至るルートをきちんとマッピングしないととっちらかって収集つかないきがしている。

2022年8月28日(日)

本をよみ、アニメを見、図書館に行き、ブログを書いた。

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 『ハックルベリーフィンの冒けん』は結局読まずに返してしまったのであった。今日は氷室冴子海がきこえる』などを借りる。長いこと積読してたけど結局読まずに手放してしまっていたのよね。うれしくなるほどリーダビリティ高っ!アニメだと明言されない(が容易に推測できる)けど主人公たちは私立高校のおぼっちゃんなんやなー。意識の外だった。いま都内だと公立の中高一貫ってありふれてるから感覚が麻痺していた。これも近年になって増えまくった感じだから1995年当時だったら中高一貫=私立の連想はずっと容易だったでしょう。わたくしも耄碌したぜ。

 ディティールも結構おもしろい。上京してからのアパートは築13年で家賃は6万8千円、仕送りは13万。これが1995年にはいやみったらしくないリアルだったのだろうか。石神井公園ってやっぱり家賃高いのね。それはそう。

2022年8月27日(土)

日記をつけようと思ってたのにパソコンをシャットダウンしてしまったので仕方なくスマホをぽちぽちしている。ファックオフ!

今日は麺でるに行き、スーパーで買い物をし、カレーを作りました。麺でるはやたら空いてて驚く。暑かったは暑かったですが、真夏のピークは去った感じはしますね。ブギーポップは残すところあと1話。

なんとはなしに『海がきこえる』見返して、ウェルメイドによくできていることを改めて確認した。

2022年8月24日(水)

ほとんど気力がなく、虫のように日々を過ごしている。

 ワンピース、映画としてはだめだろ。シャンクスが薄ら笑いをうかべながらパンピーに殴られている画はシュールでおもしろいんだが、そこにこの映画のアキレス腱があるよなと思う。キャラクターをかたちづくるのは、ある出来事に対する反応の束だとしよう。谷口悟朗のフィルモグラフィでいえば、ルルーシュは妹に危機が降りかかったらいかなる手段でもそれを回避すべく動かないといけない。逆に妹以外に対しては、血縁関係にあろうがいくらでも冷淡にふるまえる。

 二次創作において重要なのはその反応の束をいかに原作のそれとあわせたときに違和感ないものにできるか、ということにつきるだろう。しかし原作においてその「反応の束」とでもいうべきものがそもそも存在しない場合、説得性のある二次創作を行う基盤そのものがない。だから一般人にボコられたときに、それを簡単に無力化してみせるでも、容赦なく振り払うでもなく、ただ無防備にボコられてにやつくことしかできない、そういう無の反応しか出力させられないのだ。

 ジャンプの看板として客を呼ぶためには「歌姫」というガジェットだけでは弱くて...という広報上の理由からこのようなことが起こったのではと推察するが、それって結局キャラクターを安易に毀損してないか?ハリー・ポッターでもダンブルドアを無謬にするためにその弟に隠し子をこさえさせる鬼畜の所業が行われたりしたが、どっちもキャラクターに対する許しがたい犯罪行為である。

 家で『氷菓』を見、『パリピ孔明』を3話までみる。このくらいのエイニメが脳によくて、よい。

2022年8月23日(火)

今日も今日とてやる気が起きない。通勤中は福間『「働く青年」と教養の戦後史』を読んでいる。竹内洋教養主義の没落』の裏面史という感じで、ノンエリートの「働く青年」たちに自己投影してしまうの、たぶんよくないのだろうな。

 ブギーポップは「夜明けのブギーポップ」編に入って、作画のへたりがめにつくようになり、これはちょっときつい。スケアクロウが事務所でピジョンと話す場面、あきらかに体の大きさおかしくない?へたりが愛嬌になるような魅力あるキャラデザでもない.のがつらい。このレベルの画の瑕疵があると映像ソフトを買ってはやれんなという気持ちになる。

 それはそれとして、2019年版の失敗は、90年代末と現在との時差とそれにともなう現実感覚の変容にあまりに無頓着な点にある、というのをもうすこし緻密な言葉で語れそうな気がしている。世界の不気味、透明の現実。そう、いまの不気味さはカメラによってすべてが切り取られうる「透明さ」を前提にしたうえで形作られなければたぶんダメなのだ。都市の不透明さにその身を隠していた90年代のブギーポップは、現在では別の居場所をみつけてあげなければだめだったろう。その努力を怠り、原作に「忠実」なアニメ化なんぞやっても、古典になんて絶対なりえない。

 

 そうそう、昨日は深紅の優勝旗白河の関を越えたり、渋谷で中3の女子が親子を殺傷しようとしたりと、いろいろあったのだった。